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010 親

last update Date de publication: 2025-11-29 11:00:30

 うつむき、肩を震わせる恋〈レン〉。

 蓮司〈れんじ〉は哀しげな視線を向けた。

「蓮司くん、どうかしたの?」

 後ろを向き床を見つめる蓮司に、弘美が声をかける。

「あ、いや……なんでもないよ、弘美さん」

「と言うか母さん、蓮司が帰ってきたらいつもそれだ。いい加減やめろよな」

 智弘が声を荒げる。

「そんなこと言ったって」

「そんなことも何もないんだよ。母さんがそうやって恋ちゃんの悪口言うから、蓮司も家に寄り付かなくなるんだぞ」

「だってそうじゃない。恋ちゃんがあのまま蓮司といてくれてたら、母さんだって何の心配もなかったんだから」

「そうやって母さんの気持ちばっかり押し付けるなって、俺は言ってるんだよ。少しは蓮司の気持ちも考えてやれよ。蓮司だって昔の彼女、幼馴染の悪口ばっかり聞かされてたら、たまったもんじゃないだろ」

「私は親なんだよ? 子供の心配するのは当然じゃない」

「心配はしてくれていいよ。俺が言いたいのはそうじゃなくて、母さん、口を開けば愚痴ばっかりじゃないか。恋ちゃんは俺にとっても幼馴染なんだ。その子のことを悪く言われて、いい気がしないことぐらい分かるだろ」

 智弘の言葉に昌子が口ごもる。

 さっきまでの和やかだった食卓が、一気に重苦しい雰囲気になっていた。

「ま、まあまあ……弘〈ひろ〉くんもそのぐらいで」

 重い空気を何とかしようと、弘美が間に入って智弘をなだめる。

「お義母さんもね、久しぶりに蓮司くんが帰ってきたから、嬉しくてテンション上がってるんだよ」

 弘美の気遣いを感じた智弘が、小さく息を吐くとビールを口にし、「まあ、そうなんだろうけど……」そうつぶやいた。

「母さんだってね、別に恋ちゃんの悪口を言いたい訳じゃないんだ。でもね……あんたらも親になったら分かるよ。親ってのはね、いくつになっても子供が可愛いものなの。例え蓮司に駄目なところがあったとしても、それでも私からしたら、恋ちゃんが蓮司を見限ったようにしか思えないんだよ」

「分かってる、分かってるから」

 蓮司がそう言って、昌子の震える手に自分の手を重ねた。

「母さんの気持ち、ちゃんと分かってるから。僕を思ってくれてることもね。でもね、花恋〈かれん〉のことをそんな風に言ってほしくない。母さんだって花恋のこと、生まれた時から知ってるんだろ? 母さんにとっても花恋は、我が子同然の女の子じゃないか」

「……そうだよ。私も恋ちゃんのこと、自分の娘みたいに可愛く思ってるよ。だからこそ、恋ちゃんがあんたを捨てたのが辛いんだよ」

「いや、だから……捨てたとか捨てられたとか、そんなんじゃないんだって。恋愛ってのはそんな単純なものじゃない。人の心は誰にも分からないし、縛ることも出来ないんだって」

 諭すような蓮司の言葉に、昌子も落ち着きを取り戻していった。そして大きくため息をつくと立ち上がり、台所に向かいタッパーを袋に入れ出した。

「これ、持って帰りなさい。家でもちゃんと食べるんだよ」

「ありがとう、母さん」

「でもまあ……恋ちゃんがいてくれたから、あんたは小説家なんて馬鹿な夢を諦めてくれた。それだけは……恋ちゃんに感謝してるよ」

 捨て台詞のような言葉を残して、昌子は部屋へと戻っていった。

 その言葉に、蓮司よりも智弘が反応した。立ち上がり何か言おうとした智弘を、蓮司と弘美が同時になだめる。

「……」

 蓮司がもう一度恋に振り返る。

 恋は膝に顔を押し付けたままだった。

 * * *

「悪かったな」

「いや……帰ってきたらこの話になる。分かってることだから」

「まあ、言ってることの半分ぐらいは嘘なんだ。本音のところじゃ、恋ちゃんとお前がよりを戻すこと、今でも夢見てるんだしな」

「なんだよそれ、ははっ」

 昌子が去ったテーブルで、蓮司は智弘と飲み直していた。

 弘美は昌子のことが気になると、部屋に行っていた。

「それくらいお前らが付き合った時、喜んでたってことだよ」

「兄貴を差し置いて」

「全くだ。あの時の俺には、まだ一人の彼女もいなかったんだからな」

「女友達は山ほどいたのにね」

「でも付き合いたいって思える女には出会えなかった。だからお前が恋ちゃんと付き合い出した時、結構ダメージくらったんだぞ」

「でも今では、あんないい嫁さんがいる」

「まあな」

「しかも僕と花恋みたいに、『智弘』と『弘美』。同じ音〈おん〉が入ってる」

「おいおい、まだそれを言うか」

「ずっと言うけどね」

「お前なぁ……勘弁してくれよ本当。いつも言ってるけど、偶然だったんだから」

「弘美さんの名前を聞いた時は驚いたよ。僕と花恋が『レン』って呼び合ってるのが、そんなに羨ましかったんだってね」

「確かにそう思ったことはあるけどな、それはそれ、これはこれだ。ただの偶然、偶然なんだからな」

「ははっ。でも弘美さんが『弘〈ひろ〉くん』って呼んでるのを聞いたら、確信犯かと思っても仕方ないと思うよ。兄貴の名前なら普通、智〈とも〉くんになるだろうから。花恋だって兄貴のこと『智兄〈ともにい〉』って呼んでたし」

「ほんと、その辺のことも含めて……勘弁してください」

「了解。今日はこれぐらいで」

「てめえ」

「ははっ」

 兄弟がビールを飲みながら、楽しそうに語り合う。

 そんな中、恋は静かに立ち上がると、蓮司の耳元で囁くように言った。

「蓮司さん。私ちょっと、おばさんのところに行ってきますね」

「大丈夫なのかい?」

「ん? 何か言ったか?」

「あ、いや、何でもない」

 笑顔で誤魔化した蓮司が、恋に向かい小さくうなずいた。

「それで? 結局お前は行かなかったのか?」

 智弘がビールを一口飲み、思い出したように聞いた。

「どこに?」

「どこにってお前……あったんだろ、同窓会」

 * * *

 扉越しに昌子と弘美の声が聞こえる。

 恋は少し緊張気味に扉を開けた。

「……」

 恋はこの世界で、蓮司と花恋にしか認識されない。恋が扉を開けても、昌子たちにはその現象すら認識されない。ミウの言った通りだった。

 ほっとした表情を浮かべ、恋が二人の元へと歩いて行く。

 絨毯の上に座っている二人。昌子の手にはアルバムが持たれていた。

「この頃から、ずっと仲良しだったのよ」

 開かれたページには、蓮〈れん〉と恋が小学校の正門前で手を繋いでいる写真が貼ってあった。

「入学式の時の写真よ。二人ともかわいいでしょ」

「そうですね。でも蓮司くん、ちょっと緊張してますよね」

「お父さんが写真を撮るって言ったら、急に怖い顔になってね。蓮司、この頃から写真が苦手だったの」

「花恋ちゃんはこんなにいい笑顔なのに」

「蓮司があんまり緊張するものだからね、恋ちゃんが手を握ってくれたの。そうしたら少しだけ蓮司、落ち着いた感じになって」

「でも……いいですね、幼馴染って。そういう人、私にはいなかったから羨ましいです」

「この子たちは幼馴染って言うより、兄妹って感じだったと思う。それくらい、いつも一緒にいたから」

「そうなんですね」

「みっちゃんと私はね、ここに越してきた頃から仲が良かったの。毎日会ってたわ。だからあの子たちも、お互いの家を自分の家みたいに思ってたんじゃないかしら。よく泊まりに来たり行ったりしてた」

 みっちゃん。

 恋の母、赤澤みつ子のことで、昌子とは互いに「まぁちゃん」「みっちゃん」と呼び合う仲だった。

「よくみっちゃんと話してた。二人共このままずっと一緒で、大人になったら結婚するんじゃないかって。私もみっちゃんも、そうなることを望んでたような気がするの」

「ふふっ」

「だから二人が付き合い出した時は、本当に嬉しかった。変な言い方になるけど、我が子二人が一緒になってくれた、そんな風に思ったものよ」

「そうなんですね」

「でも……長く続かなかった。私もね、蓮司の言ってること、ちゃんと分かってるつもりなの。いくら好きな気持ちがあっても、それだけじゃうまくいかない。恋愛は本当に難しいって」

「ですね……」

「でも辛かった……こんなことになるんだったら、二人共付き合わなければよかったのにって思ったわ。あのまま仲のいい幼馴染だったら、今でも恋ちゃん、遊びに来てくれてたかもしれない」

「お義母さん……」

「私にとっては、恋ちゃんも大切な我が子だった。でも二人は別れてしまって、そのおかげで恋ちゃん、それ以来この家に来ることもなくなって……私、寂しいのよね、きっと。

 恋ちゃんと、また昔みたいに話したいな……弘美ちゃんだって、きっと気に入ってくれたと思う。姉妹みたいに仲良くなれたと思う」

「そうかもしれませんね」

「でも、それは夢だった……私だって本当は、恋ちゃんのことを悪くなんて言いたくないの。だって私、恋ちゃんのこと大好きなんだから」

「分かってます、分かってますよ、お義母さん」

「でも……蓮司の顔を見てたらね、どうしても……あの子、恋ちゃんと別れてから、本当に笑わなくなったし……そんなあの子を見てたらね、辛くて……」

 弘美は昌子の肩を抱き、「大丈夫ですよ、お義母さん。蓮司くんなら大丈夫、大丈夫ですから」そう囁くのだった。

 そんな二人を見つめながら、恋は涙を浮かべ、「ごめんなさい……ごめんなさい、おばさん……」そう何度も謝るのだった。

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